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石平さんと初めて一緒に飲んだ夜に話したこと

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石平さんが今夏の参院選へ出馬…とのことで、X(旧Twitter)では騒動になっている。

「騒動」の大半は、帰化一世が政治家になることを懸念したものである。

そうした「懸念」は十分理解できるし、帰化一世の政治参加は禁じた方が良いのではないか…という意見については、私もある一定の理解はできる。

ただ、「騒動」の内容を見るに、それらは主に石平さんの日本人としての資質に疑問を持つもの…「精神性は中国人」だとか、「実はスパイ」とか、「媚中派に転向したのでは」…という荒唐無稽な誹謗中傷である。

私は、石平さんが初の著書を出して、言論人としての活動を始めた当初から注目し、リアルでお会いするようになってから12年の交流がある。

そうしたお付き合いから、石平さんの生の声を直接聞き、彼の本音に触れてきた私からすると、いま石平さんが無惨にも浴びせられている誹謗中傷の類は、「全くの的外れ」であると断言できる。

ただ、大半の人はリアルで石平さんにお会いしたこともなく、実際の人柄に触れることもないので、ネットで出てくる無数のデマや無責任な憶測を見ている内に、疑心暗鬼に陥ってしまうのではないか。

そこで、私が12年前に初めて石平さんとお会いした夜に話したことを、公開しようと思います。

【目次】

2013年10月、新宿の四川料理店にて

私は2009年の6月からTwitterを始めていたが、石平さんがTwitterを始めたのは2011年の7月。それから間もなくして、石平さんからフォローをいただいた時は感激した。私は石平さんが著述活動を始めた初期からのファンであり、彼の著書を読み、彼の講演や討論の動画をほぼ全部目を通すほどだったからだ。

それからしばらくして、石平さんから「一緒に飲もう」とのお誘いがあり、新宿の紀伊國屋書店の前で待ち合わせた。私みたいなどこの馬の骨ともわからぬ匿名のアカウントの者にも、深々と頭を下げて挨拶をする姿が印象的であった。中国人には、挨拶の際に深々と頭を下げる…という習慣がないからだ。

それから、新宿区役所の近くにある四川料理店へとお連れした。

そもそも、私は中国に留学していた頃から四川料理が大好きだし、石平さんも中国を離れて久しいので、故郷の味が懐かしのでは…と思い、東京の友人に頼んで、本格的な四川料理の店を探してもらっていたのである。

石平さんはメニューを開いた途端に驚きの声をあげ、

「すごい!こんな料理もあるのか!」

「これを出す店は日本では珍しい!」

「これは本物の四川料理の店だ!」と大興奮でメニューをめくりつつ、

「ちょっと待って!これはじっくり考えさせて!」と、子供のようにはしゃぐのである。

この時、石平さんは日本に帰化してから6年であった。

日本に帰化する際の審査があんまり簡単過ぎて、こんなことで良いのかとこちらが不安になるほどだった…もっとちゃんと日本への愛国心や忠誠を測るような、厳格な審査が必要ではないのか…という旨のことを仰っていた。

北京で過ごした学生時代の思い出話

最初はビールで乾杯したが、次に石平さんは「黒さんは、二鍋頭は飲めるのですか?」と聞いてきた。

「二鍋頭」(アルゴウトウ)とは、北京で作られているコーリャンを原料とした白酒である。

Alcool de sorgho de Pékin.JPG
Clément Bucco-Lechat - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

この、緑色の瓶に赤・青・白のラベルは、昔の北京にいた者にとっては懐かしい。酒を扱う店なら何処でも、この小瓶が置かれていた。値段は安いし、度数が高いから、手軽に酔える。私は強い酒が苦手だけど、何度か飲んだことがあった。独特のニオイがあって、一度飲めば忘れられない味である。

石平さんが北京大学で学んでいた頃と、私が留学していた時期は、10年近くズレるのだが、私がいた頃はまだ本格的に再開発が始まる前であったから、石平さんの北京大学時代の思い出話を聞いていると、私がいた頃ともさほど変わりがないように思えた。

私がいた大学は、北京大学からも遠くなかったので、石平さんは学生時代に来たことがあったらしい。大学の脇の路地に串焼きの店があって、そこで二鍋頭をよく飲んだ…と話されたので、もしかしたら私もその店に行っていたかも…と言うと、お互いに嬉しくなり、それぞれの学生時代の思い出話に花を咲かせたのである。

「なぜそんなに韓国が嫌いなのですか?」

それから、Twitterの話しになったのだが、当時(2013年)の石平さんは韓国批判が多かった。ちょうど朴槿恵(パク・クネ)政権が始まった頃である。

「どうして石平さんは、そんなに韓国が嫌いなのですか?」

思い切って聞いてみた。すると、

「だって、アイツらムカつくじゃないか!黒さんはムカつかないのかw」

…と、身も蓋もない本音が返ってきた。

石平さんがやたらと韓国批判をするのは、Twitterでウケを狙っているのかと邪推していたのだが(当時、韓国サゲな投稿はどんなものでもウケが良かったのである)、単に普通にムカつくだけだと聞いて、「この人は、打算がない人なんだ」と思った。

ただ、ちゃんと韓国のことも勉強していて、韓国に取材にも行って、韓国に関する著書もたくさん出されているから、単に感情的に毛嫌いしているのではない。最初は、正義感から「許せない!」と思っても、そこから知的好奇心が動き出して、色々本を読んだり、人と会ったり、実際に韓国に足を運んで、嫌いな理由にシッカリ向き合う。自分なりの韓国理解を深めて、現地にも行って検証しなければ気が済まない。マジメな人なのだなぁ…と感心した。

韓国人留学生の金ちゃんの件

それから、酒がどんどん進んで、石平さんも私もかなり酔いが回った。

そこで石平さんが、「他に、留学していた時の話はないのですか」と聞いてきた。

私は先程の韓国の件が少し頭に残っていたので、「あ、そういえば…」と思って、私が留学していた頃に起こった「ある出来事」について話すことにした。

* * * * *

私が北京に留学した頃、学校の敷地内にある留学生宿舎に住んでいたのだが、当時は日本人学生と韓国人学生が多かった。

ある日、私と仲の良い日本人の友人の部屋を訪ねると、韓国女子が一人いた。可愛らしく、まだあどけない少女のような顔立ちの女子である。当時は、日本人と韓国人で付き合う学生が少なからずいた。

「あ、お取り込み中だったんだ。ごめんなさい」…と言って部屋を出ようとすると、友人が「ちょっと待ってください!そんなんじゃないんです!」と私を止める。

「一緒に居てくれた方がいいんです。中に入って下さい!」

…と友人が懇願するので、ともかく部屋に入って事情を聞くことにした。

当時我々は、この韓国女子を「金ちゃん」と呼んでいた。年は17歳だか18歳で、本当なら高校生の歳らしい。

「なぜ、韓国の女子高生が北京の大学にいるの?」

「金ちゃんは韓国の大企業の社長の娘さんなんです。お父さんの仕事の関係で、家族一緒に北京へ赴任して、金ちゃんは中国語を始めるなら早い方がいい…と言って、この大学に入れられたんです」

そもそも、高校を卒業していない?のに、どうして大学に入れるのか謎なのだが、昔の中国の大学は何かとイイカゲンだったので、コネがあればどうにかなったのだろう。その真相は今となってはわからない。

「それで、どうして彼女が、この部屋にいるわけ?付き合ってるんでしょ?」

「いや、そういうんじゃないんです。金ちゃんはまだ高校生ぐらいの歳なわけじゃないですか。すると、韓国人留学生の中では最年少になるんです」

「…最年少…そうだよね。でもそれと、この部屋にいるのが何の関係があるの?」

「韓国人は年功序列の上下関係が厳しいんですよ。1ヶ月でも生まれが遅かったら、『年上』には絶対服従なんです」

私は、まだ話の要点がわかってなかった。

「絶対服従で、金ちゃんは特別な事情で唯一の最年少だから大変なんですよ。だから、授業が終わったら、ここに隠れているんです」

「隠れてなかったらどうなるの?」

「隠れてなかったら、年上の韓国人から、使いっ走りの雑用をさせられるのです」

私は、それぐらいイイじゃないか…と思った。わざわざ隠れたりしないで、年上のお願いごとぐらい、ちょっとがんばってこなせば出来るだろうし、無理なら断ればいいじゃないか…と考えていた。ようするに、韓国人がどんな人達なのかを理解してなかったのである。

「だから、金ちゃんは授業が終わったらすぐに身を隠して、ここにいるんです。でも、オレだけで彼女と二人っきりだと間が持たないから、他にも誰か居てくれたら助かるんです」

このようにして、私と金ちゃんは友達になった。

図書館で見たこと

この事情が他の日本人留学生にも知れ渡ると、「なんだ、そういうことかよ」となって、他にもたくさんやってきた。私の周囲の日本人留学生が溜まっているところでは、いつも金ちゃんがいた。彼女は、留学してまだ数ヶ月だけど、一生懸命中国語を勉強して、カタコトでの意思疎通ができた。彼女は、親の期待に答えて、早く中国語を習得したいらしく、友人の部屋に隠れている時はいつも中国語学習の本を読んでいた。年上の韓国人たちの雑用をさせられると、自分の勉強ができないのもイヤだったのだろう。

それから、しばらく経ったある日、私が午前中の授業を終えて宿舎に帰ろうとして、学内の図書館の前を通ったら、一緒にいた友人が図書館の一階の窓を指さして、「アレを見て下さい」と言った。

その窓の向こうは自習室で、その中にはパタパタと走り回っている女子の姿が見える…金ちゃんだった。

金ちゃんは、ずっと辞書とか本を持って走り回っている。ところどころに、辞書や本を置き、また別の本を取りに行って、他の席に置いて…と繰り返している。彼女は一体、何をしているのか?

「金ちゃん、今日は年上の韓国人に捕まっちゃったんですよ。アレはね、先輩たちが昼メシを食べている間に、席取りをさせられているんです。先輩たちが午後からすぐ自習室を使えるように」

「じゃあ、金ちゃんは昼メシどうするの?」

「先輩が最後の一人まで、全員自習室に来るまで、彼女は昼メシに行けないんです…」

先輩は、昼メシが終わったらすぐに来るとは限らない。2時、3時となることもあるらしい。それまでの間、ずっと確保した席の番をしなければいけないのだ。

私はその時、かなりの時間、足を止めて見ていたけど、金ちゃんはずっと自習室の中をパタパタと走りまわっていた。たぶん数人ではない…数十人の先輩たちから席取りを命令されているようだった。

こんなものは、もし年功序列が絶対であったとしても、他にも数人に割り当ててやらせた方が効率も良いのではないかと思ったりもするわけだが、「特殊事情」でこの大学に来ている金ちゃんは、唯一の最年少であるから、一人でこの仕事をやらざるを得ない。「一緒に手伝いましょうか」と言ってくれる1年年上の人はいないのである。そして、自習室の席取りだけでもこの状況なので、金ちゃんが先輩たちと(当時その学校には100人以上の韓国人留学生がいたから、金ちゃんの「先輩」は100人以上なのである)一緒にいたら、1日中どれだけの雑用を押し付けられることなのか…想像するだけでもゾッとする。

「でも、金ちゃんは韓国の大企業の娘さんなんでしょう?だったら、そういう『階級差』で何とかなったりしないの?韓国ってそういうのもキツイんでしょ?」と友人に聞いてみた。

「オレもそういうの考えて、彼女に聞いてみたんですけど、韓国人にとっては家の階級とかより、年功序列の方が絶対的に重要らしいです」というのが友人の答えだった。

だから、金ちゃんは友人の部屋に逃げ込んで、隠れ続けるしかないのだ。

なぜ日本人は年下をコキ使わないのか

そうして、金ちゃんが友人の部屋に隠れているのが、我々日本人留学生の日常となった。そんな状況が数ヶ月も続くと、金ちゃんと我々はすっかり仲良くなって、一緒に昼飯を食べたり、夕食を食べたりするようになった。金ちゃんの中国語習得のスピードは早く、簡単な日常会話ならできるようになっていた。

「日本人はとてもやさしいですね」

「ありがとう。ほんとうに、ありがとう。」

彼女はいつも申し訳無さそうにして、我々にとても気を使った。韓国の実家から送られてくる海苔をよく持ってきてくれた。あれは、我々に迷惑をかけていると思って、その罪滅ぼしのつもりだったのか。友人の部屋にずっと置いてほしいと思っていたのだろう。日本人は歳の差と関係なく平等に接してくれる、年下だからといってコキ使ったりしない、それは何故なのか?と聞かれたこともあった。

どう答えたらいいのか、上手い説明が思い浮かばなかったけれど、「日本人にはそういう習慣がないんだ」としか答えようがなかった。日本でも、体育会系のクラブ活動とか、不良グループであるとか、職人系の仕事などでは、年功序列の服従関係があるけど、少なくとも同じ学生の間で、そんな厳しい上下関係、使役関係は考えられなかった。

ただ、それから間もなくして、困った事態に発展した。

「韓国人が殴りに来る」

ある日、いつもと同じように友人の部屋に行くと、金ちゃんがいなかった。

その代わり、いつも私と遊んでいる仲間たち…日本人留学生がほぼ全員いたのだが、みんなが深刻そうな表情で、何かを真剣に話し合っていた。

我々の中には、韓国人学生との付き合いがある者がいて、彼は韓国語も出来た。彼によると、韓国人学生たちは我々が金ちゃんを匿っているのを知っており、憤慨している。その中の一人がとても粗暴な男で、「次にあの日本人留学生たちを見かけたら、ぶん殴ってやる!」と息巻いていた…というのである。

当時、日本人留学生と韓国人学生が多かった…という話はした。ただ、そういう状況の中で、日韓のカップルというのが何組かいたのだが、「韓国男子+日本女子」の組み合わせが多く、「日本男子+韓国女子」という組み合わせは少なかった…というより、私が知る限りはいなかった。他の大学ではいると聞いたことはあるけど、私がいる大学にはいなかった。

これには、日本男子が韓国女子と仲良くし始めると、韓国男子がすぐに怒鳴り込んでくる…という事情があった。実際にその現場を見たことはないけど、そういう経験がある…という人の話を聞いたことがあるし、私がたまたま韓国女子に話しかけた時に、そばにいた韓国男子から睨みつけれたことがあったので、そういうことは実際にあったのだろう。私は面倒事に巻き込まれるのがイヤなので、以来、金ちゃん以外の韓国人にはほとんど話しかけなかった。

金ちゃんの件で、韓国人学生が怒っているのは、我々が金ちゃんを匿うことで、雑用を押し付ける相手を取り上げているからだろう。たぶん…想像するに、金ちゃんがいなければ、その次に最年少の誰かが雑用を押し付けられる。その人たちが、「金は日本人の部屋に逃げて、先輩のお世話をサボってる!」と不満を貯めているのではないか。

そして、もう一つの「怒る理由」は、韓国人のルールとしては、韓国男子が日本女子と付き合うのはOKでも、日本男子が韓国女子に手を出すのは…親しげに声を掛けるだけでもNGなのである。ならば、毎日のように金ちゃんが日本人の部屋に来ているのは、「日本男子が韓国女子をそそのかしている」という受け取られ方をするらしい。これは、その韓国語が出来る男からの情報であった。

「もう、金ちゃんには来ないようにしてもらうしかないのでは…」と言うのが、韓国語が出来る男の意見だった。

そういえば、この数日前に、金ちゃんとみんなで一緒に外食した際、帰り道ですれ違った韓国男子に睨みつけられたことがあったけど、アレがその兆候だったのか。韓国語の出来る男の情報は憶測や誇張ではない。確かな情報のようだ。

「このままだと、韓国人が襲ってきますよ。そこまで至らなくても、騒動に発展するでしょう。そうなって辛い思いをするのは金ちゃんなんです。金ちゃんが、この部屋に隠れて、韓国人学生たちから逃げて、我々と一緒にいること自体が不自然なんです。彼女は韓国人だから、同じ韓国人を拒み続けることはできないし、我々もずっと匿い続けるのは無理です。彼女は韓国人なんだから、韓国人の中で生きるべきなんです」

韓国語が出来る男は、いつもは陽気でオヤジギャグばっかり言ってる軽い奴だけど、この時だけは神妙な表情で、マジメに自分の意見を述べた。我々が金ちゃんを拒否するのは卑怯じゃない、それは本来自然なことなのだ。韓国人は韓国人の中に帰るべきなのだと。

* * * * *

ここまで我慢強く読んでくれた皆さんは、この長話に飽きたかも知れない。ただこれは、新宿区役所の近くの四川料理店で、石平さんと酒を飲みながら話していることである。私がここまで長々と話したところで、石平さんは飽きてしまったのではないかと気になった。というのも、この話の間、石平さんは一言も発さずに、酒をグイグイ飲んでいたからだ。彼は私の話をちゃんと聞いているのだろうか…。

この時、石平さんは50度以上もある二鍋頭を2本空けて、たしか3本目を頼もうとしていたのか、3本目を口にしたぐらいの時だったと記憶している。石平さんは酔いが回ったのか、目が座っていた。イライラしているのが伝わってくる…。

あまりにも長ったらしい話で、石平さんにとっては、面白くなかったかも知れない…この話をするべきじゃなかったか…と迷い始め、私は長く沈黙してしまった。すると、石平さんが大きな声で、

「それで、オマエたちは、どうしたんだッ!」

と私を一喝した。目の奥には静かな怒りが燃え上がり、私を睨みつけていた。

「韓国語の出来る男の言い分ももっともだと思いましたが、日本人留学生は全員一致で、金ちゃんを受け入れ続けることに決めました。韓国男子が殴りに来るというのが不当であり、韓国人のルールであったとしても、年下だからという理由で奴隷のようにコキ使う方がおかしい。それから逃げたいというなら我々は金ちゃんを拒まない。彼女が自発的に来なくなる分には引き止めたりしない。でも、韓国人に暴力で脅されて、我々が彼女を部屋に入れないとか、こちらから関係を断つようなことは絶対しない。だから、その日以後も、変わりなく彼女と一緒にみんなで夕食を食べに行きました…」と私が言い終わらない内に、

「それでこそ、日本の男だ!」

…と石平さんは満面の笑みを浮かべて、店の人が驚くほどの大声で歓喜して、

「黒さん、飲め!」

…と言って、二鍋頭を波々と注いだ盃で乾杯したのであった。

その後も、石平さんの興奮は冷めず、「そうだ。日本の男はそうでないとダメだ。日本人はそうでなければ…」と噛みしめるように何度も口にして、自分の思いを、日本への思いを、反芻しているようであった。

私はその瞬間まで、石平さんは「日本国籍を持っている中国人」だと思っていた(すみません)。というのも、それまでそういうタイプの「日本に帰化した中国人」にたくさん会ってきたからだ。「帰化」はあくまでも制度に過ぎない。帰化を申請し、審査され、国籍が与えられたからと言って、魂まで入れ替えることはできない。私はその上で、日本への好意と理解があるのなら、それで十分だと思っていた。

ただ、石平さんはこの長い話を我慢強く聞き続けた上で、結論がどうなるのかを待ちきれず、しびれを切らして急かすほどに、私と仲間が…若き日本人たちが、「日本人として正しい結論」を出すのか、出さないのかを知りたがった。

その上で、石平さんは結論を知った瞬間に、間髪入れずに、「それでこそ、日本の男だ!」と快哉を叫んだのであるから、「この人は『日本国籍を持ってる中国人』ではない」と確信した。56度の二鍋頭を2本空けたのだから、「フリ」をしているのではない。自分を偽り、私を騙しているのではない。石平さんは普段から、心の底から、「日本人は真っ直ぐであらねばならん!弱い者を守り、不当な脅しには負けず、毅然と立ち向かう人間でなければダメだ!」と思っている。そうでなければ、あの瞬間にあの言葉は出てこないのだ。

日本人としての正しい判断と行いができたのか

こういう話をすると、「韓国女子をかばうべきだ…って石平は親韓だったのかw」という変な要約の仕方をする人が出てくるだろう(Twitterはそういう場所なのである)。

クドいようだがキッチリ書いておくと、石平さんは「日本人が、日本人としての正しい判断と行いができたのか」を気にされていたのだ。

たぶん、このエピソードのオチで、私が「韓国人の脅しが怖いので、金ちゃんを部屋に入れないようにしました。金ちゃんは韓国人なんだからコキ使われるのがイヤでも韓国人の中で生きるべきで、それに抵抗して我々が韓国人に殴られるなんてまっぴらです」と答えようなものなら、当時6年前に苦労して日本国籍を取得した石平さんとしては、大いに失望し、落胆されたことであろう。

そして、私と友人たちが金ちゃんをかばい通した結末を喜んだことからもわかるように、石平さんは韓国人を毛嫌いしているのではなく、弱い者を虐げたり、道理の通らないことをゴリ押してくる人間が嫌いなのである。

* * * * *

帰化した「元中国人」を警戒する人、帰化一世の政治参加を警戒する人の気持ちは、私も理解できる。帰化した人の中には色んな人がいることだろう。ただ、12年前の夜に石平さんとリアルで会って、一緒に酒を飲んだ時の経験から、彼に「警戒」を向けるのは見当違いだと思う。

「帰化」という制度によって付与された国籍とは全く別に、石平さんの「日本人はこうでなくてはならんのだ!」という思いの「熱さ」は本物なのだ。彼は帰化とは別に、自身の素質と努力によって「日本人の心」を持った人なのだ。

生まれたのが日本でなくても、親が日本人でなくても、日本人の心を持って生まれる人、日本人の心を持つようになる人はいる。石平さん以外にも、私の友人・知人にはそういう人達がいる。広く知られていないだけで、決して珍しいことではない。それに、先祖代々の生まれついての日本人でも、「日本人の心」を持たない人、日本を貶め、日本を侮辱する人はたくさんいるではないか。石平さんは、そういう人間ではない。

石平さんの心の内を垣間見た者の一人として、今回の出馬表明で帰化人であることをほじくり返され、あらぬ疑いをかけられたり、傷つけられているのは見るに耐えないと思い、12年前のエピソードを公開いたしました。お読みになられた方々が、デマや憶測に惑わされず、石平さんを正しく理解する助けになれば幸いです🙇

▲こちらは、石平さんの写真作品と共に、自身の半生を語る「自伝」となっています。いまネット上で石平さんに関するデタラメな憶測やデマが流されていますが、それらを鵜呑みにする前に、この本をぜひご覧ください。


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