今回の深セン土砂崩れの報道では、各メディアが衛星写真を利用して、事故現場が採石場だった頃、残土処理場になった後を比較していますけれど、どうやってやるのだろうか…と思って調べてみたら、グーグルアースでできるのですね。早速、黒色中国でもやってみることにしました。
緑野の時代(1979年-1990年)
▲1979年1月1日
グーグルアースで遡れる最も古い時代はこの時期になります。解像度も低くハッキリとはわからないのですが、この時代の深センの光明新区周辺は見渡す限りの緑色ですね。
かつて深センは広東省の「宝安県」でしたが、1979年3月に省轄市の「深セン市」になります。つまりこの衛星写真は宝安県時代に撮影されたものです。
▲1990年1月1日
1980年に深センが経済特区になって、10年後の光明新区周辺はまだ緑色。全然開発が進んでいなかったようです。真ん中右よりに見える黒い部分は池のようです。
▲2000年1月1日
解像度が低いのでよくわかりませんが、ようやく開発が始まったような…こちらに見える黒い部分も池のようです。
採石場と工業区の発展(2002年~)
▲2002年8月31日
近くに田畑が多いので、池は貯水池なのかも。ただ、川もないのにいきなり池があるということは、地下水が湧きやすい場所なのでしょうか…この頃には既に採石が始まっていたようです。建物も増えてきました。
▲2003年2月17日
2002年とさほど変わりません。とりあえずこの地域の発展はここで一段落着いたようです。そしてこの頃までは深センでは沿岸地域の埋め立てを行っていたため、建設残土の捨て場に困ることはなかったそうです。
▲2005年11月16日
この頃になってくると、目立って建物が増えてきます。深センの開発が進んで、中心部に土地が少なくなってきたため、光明新区のような市街地から離れた田舎にも建物が増えてきたのでしょう。深センの沿岸地域の埋め立ても完了し、埋め立てに関する管理が厳しくなったのもこの頃だそうです。
▲2007年1月30日
開発がかなり進んできました。「光明新区」が成立したのはこの年の5月31日です。そしてこの時期あたりから、深セン内の残土処理場が満杯になり始めました。
▲2008年2月20日
光明新区がスタートして7ヶ月後。 採石場に大きな池のようなものが見えます。
▲2010年8月30日
この時期になると、以前は田畑だった「紅拗村」と書いてあるあたりも開発が始まっています。
▲2011年4月11日
なぜかこの衛星写真だけ不鮮明…大気汚染の影響でしょうか?
▲2013年11月15日
採石場の池は大きくなって、湖のようになってしまいました。紅拗村の開発もかなり進んできました。
残土処理場時代(2014年~2015年)
▲2014年1月21日
採石場はまるで貯水湖のようになってしまいました。2014年2月から光明新区が採石場を残土処理場として使用することを認可します。
▲2015年4月14日
残土処理場の認可が降りてから2ヶ月…もう「湖」はありません。山のふもとにあった「池」もなくなりました。
▲2014年11月23日
残土処理場になってから9ヶ月後。山のふもとの池があったところには盛り土がされています。
▲2015年10月18日
そして土砂崩れ発生の2ヶ月前。この時には残土は相当の高さになっていたはずですが、グーグル・アースの衛星写真から立体画像を作ると、このあたりは上手く再現できないのかも知れません。
▲上掲の画像でスライドショー表示の動画を作ってみました。